2015年3月13日金曜日

021:切磋琢磨と休養のバランス

Buenas tardes!!
こんばんは。



今日は午後から、自分と同じように海外で野球をしている仲間と一緒に練習しました。


彼はアメリカで、僕はスペインですが、

同じ異国で野球をする仲間として、とても価値観が合うところがあります。

去年の夏、彼と一緒に練習した帰りに。
このころよりもお互いに一回り体が大きくなっています。







彼とは、一昨年の日本国内のプロリーグのトライアウトで知り合いました。

その時は、お互いに合格することはできなかったのですが、

今現在、こうして、さらに良い環境で野球をできるチャンスをお互いに掴み、

一緒に切磋琢磨している仲です。

練習しながら、トレーニングに関する知識や方法論、技術論をお互いに交換し合えるので、

非常に有意義なトレーニングができます。


さらに、僕にとっては、彼の方が僕よりも良いパフォーマンスを持っているので、

一緒に練習して、彼の球を捕ったり、メカニックを観察するだけでも、非常に得るものが多いです。


彼とは一度も同じユニフォームを着てグラウンドに立ったことはありませんが、

一緒に良く練習をするので、不思議な間柄です。


トライアウトの会場で初めて話した時に、何故もっと早く彼と出会えなかったのだろうと、思いました。笑

そのくらい、もう少し早く一緒に汗を流したかったです。笑



そんな彼と練習後にまた、先日の日欧野球の試合のについて話になりましたが、

彼もまた同じことを考えていました。

格下だとか、格上だとか、そういったことは結局は机上の空論で、実際に勝負をするところでは、何の意味もなさないと思います。

もっともっと本質的な部分を捉えるには、自分の目で確かめたり、行動を起こしてみないとわからないものだと思っています。


なぜなら、世の中には客観というのは存在せず、全て主観でできていると、僕は考えています。


人間が「自分とはこういう人間である」ということを認識すること、または、その自己認識のことを、アイデンティティーと言いますが、

このアイデンティティーは、人間が社会で生きていく中で、自分以外の他者とコミュニケーションをとる中で、自己の中に作り上げられていきます。

例えば、「君、かっこいいね。」と言われれば、自分はかっこいいのかもしれないという認識が自己内に生まれ、「君、かっこいいね。」言われる回数や、それを言う人の数が多くなるにつれて、自己内での「自分はかっこいい」という自己認識が強くなっていきます。

なぜかというと、人間は自己の中に、自分が社会の中で他者とのコミュニケーションをとる過程で得た経験的なデータから、他者を平均化し、他者というものはこういうものだという「一般化された他者」という他者像を作り上げます。

アメリカの社会学者、G.H.ミード。
彼は認知あるいは内面化される社会的期待あるいは規範の総体として、
「一般化された他者」という概念を生み出しました。
僕は、「一般化された他者」を
ミードが提唱したところ以外にも言えるのではないかと考えています。


客観の正体は、この「一般化された他者」からみた視点のことであり、この「一般化された他者」、つまり、客観は自己内、つまり主観の中に存在しています。


結局のところ、客観も主観で作り上げられた他者からの観点にすぎず、それは主観の外へ出てくることはないということです。

先述の例でいえば、「君、かっこいいね。」と他者に言われたときに、その他者が嘘で言っている可能性もある。それが嘘かどうか本当のところを自分で確かめる方法はなく、その他者本人しかその真意を知る由はありません。また逆も同様に考えることができます。

そして、その他者からの発言を本当か嘘か判断して受け入れるのは、結局は主観の判断によるものです。


なので、客観的に見ようが、格上とか格下だとかという話は、個人によって感じ方は違うので、

その発言自体が、その発言者の主観から出ることはなく、それに基づいて自己の判断を決定づけるということほど、愚かなことはありません。

こういうことを言うと、「これは過去のデータが証明している!」なんていう人がいるかもしれませんが、

それはあくまで過去のデータにしかすぎず、何が起こるか解らない勝負事の中で、そんなものは役に立たないのです。
それに、今、格上か格下かは過去のデータでは決まらず、今から始まるその勝負によって決まるものなので、やる前からそんな愚かな格付けは意味をなしません。

勝負がついてからも、あくまで、その過去の時点では格上か格下かが決まっただけで、その次どうなるかなど、決めようがないのです。

つまり行ってみなければわからない、見てみなければ、やってみなければ何もわからないのです。

「百聞は一見に如かず」ということです。


つまるところ、その一瞬一瞬で己を見つめ、己のできること、なすべきことを判断し実行するのみだと考えています。


「は?何言ってんだこいつ?」と思われるかも知れませんが、

僕自身、まだまだ勉強不足なうえに、

この話もまた、今年で24歳になる青臭い野郎の主観によって判断された文章ですので、

若造の戯言だと思って読んでいただいて結構です。


言葉に関する自分の中での認識がガバガバなので、

要するに、自分を大事にして芯をしっかり持とうと思っているということです。




何かを判断するにしても、誰かが言っているとか、

誰かにはこう言われたなんていうものは、何にも役に立たず、

結局は自分で判断を下さなければならないので…



僕は、一人の選手として、自分でどう思うのか感じるのか、つまり自分の主観を大事にしてこれからも切磋琢磨していきます。






ですが、最近少々、疲れ気味です。

その原因が、栄養か、睡眠か、何かは分かりませんが、

少なくとも、休養と練習のバランスが少し崩れていることは確かかもしれません。

休養には、栄養摂取も含めます。


近いうちに少しリフレッシュする必要があると感じています。


自分は少々オーバーワーク気味なところがあるので、

きちんと栄養管理から睡眠、アフターケアまで、きちんと休養を意識してやる必要があります。



とにかく疲れ気味なので、今日は早く寝たいと思います。


それでは、Adios!!